キャリアにおけるジェンダー課題:賃金格差と昇進の壁を探る
はじめに:働く場における見えない壁
私たちの日常生活において、「働くこと」は経済的な基盤であると同時に、自己実現や社会とのつながりを感じる重要な側面です。しかし、その「働く場」において、性別によってキャリアの機会や報酬に違いが生じているという課題が存在します。これが「キャリアにおけるジェンダー課題」であり、具体的には賃金格差や昇進の難しさといった形で現れることがあります。
本記事では、キャリアにおけるジェンダー課題、特に賃金格差と昇進を妨げる「ガラスの天井」に焦点を当て、その現状、背景にある社会構造、影響、そして今後の展望について、ジェンダー・スコープの視点から深く掘り下げて解説してまいります。
労働市場におけるジェンダー課題の背景と現状
働く場におけるジェンダー課題は、単に個人の能力や努力の問題ではなく、歴史的、社会構造的な要因が複雑に絡み合って生じています。
かつて、多くの社会では男性が「稼ぎ手」、女性が「家庭を支える者」という性別役割分業の考え方が強く、労働市場もそれを前提とした構造になっていました。女性は結婚や出産を機に離職することが一般的であり、継続的なキャリア形成が難しい状況でした。
現代においては、女性の社会進出が進み、多様な働き方が可能になっています。しかし、依然として根強く残る性別役割分業意識や、それを前提とした社会システム、企業文化などが、働く場におけるジェンダーギャップを生み出す要因となっています。
具体的な現状として、以下の点が挙げられます。
- 賃金格差: 同じ職務や能力を持っていても、性別によって平均賃金に差がある「ジェンダー賃金ギャップ」が存在します。日本の賃金構造基本統計調査などによると、男女間の賃金格差は縮小傾向にあるものの、依然として男性を100とした場合に女性が8割程度にとどまっています(※参照元:厚生労働省「令和〇年賃金構造基本統計調査」など)。この差は、勤続年数や役職が上がるにつれて拡大する傾向が見られます。
- 管理職・役員比率の差: 企業や組織において、管理職や役員といった意思決定層に占める女性の割合が男性に比べて著しく低い状況があります。この現象は、まるで透明な壁があるかのように女性の昇進を妨げていることから、「ガラスの天井」と呼ばれています。世界経済フォーラムのジェンダーギャップ指数などでも、日本の政治・経済分野における女性の参画の遅れが指摘されています(※参照元:World Economic Forum「Global Gender Gap Report」など)。
なぜ賃金格差や「ガラスの天井」は存在するのか?
これらのジェンダーギャップは、どのような要因によって引き起こされているのでしょうか。多角的な視点からその原因を探ります。
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性別役割分業意識と無意識の偏見(アンコンシャス・バイアス): 社会に根強く残る「男性は仕事、女性は家庭・育児」といった固定観念は、個人のキャリア選択だけでなく、企業の採用・評価・昇進プロセスにも影響を与えます。面接官や上司が、無意識のうちに「女性はいずれ出産・育児で離職するだろう」「リーダーシップは男性の方が向いている」といった偏見(アンコンシャス・バイアス)を持っている場合、女性に重要な機会が与えられにくくなる可能性があります。アンコンシャス・バイアスとは、自分では気づかないうちに持っている、物事に対する偏った見方や考え方のことです。
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育児・介護負担の偏り: 日本の社会では、育児や家族の介護といったケア労働の多くを女性が担っている現状があります。これにより、女性はキャリア形成において、育児休業の取得、時短勤務の選択、あるいは離職といった選択を迫られるケースが多くなります。キャリアの中断や働き方の制限は、昇進の機会の減少や賃金の伸び悩みに直結しやすい構造です。男性の育児休業取得率は徐々に向上していますが、女性に比べるとまだまだ低い水準にあります(※参照元:厚生労働省「雇用均等基本調査」など)。
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企業の文化・慣行: 長時間労働を前提とした評価システムや、重要な情報交換が非公式な飲み会の場で行われるといった企業文化も、キャリア形成に不利に働くことがあります。特に、育児や介護で時間的な制約がある人々(多くの場合、女性)は、こうした環境で十分にパフォーマンスを発揮したり、機会を得たりすることが難しくなります。また、「パイプライン」の問題も指摘されます。これは、昇進に必要な経験やポジションを、過去の慣行から男性が多く占めてきたため、将来のリーダー候補となる女性が育ちにくいという状況です。
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職種・業界による偏り: 賃金水準の高い特定の職種や業界(例:STEM分野、金融など)において、歴史的に男性の比率が高いことも、全体の男女間賃金格差の一因となっています。また、女性が多く働く職種(例:保育士、看護師など)の賃金水準が、社会的に必要とされる価値に見合っていないという課題も存在します。
具体的な事例から学ぶ
これらの要因がどのようにジェンダーギャップを生み出しているのか、具体的な事例を通じて理解を深めます。
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事例1:昇進における「マミートラック」 育児休業から復帰した女性が、本人の意向に関わらず、定型業務中心の部署に配置されたり、昇進コースから外れたりする現象が指摘されています。これは、企業側が育児による時間的制約を懸念したり、「大変だろう」と配慮したりする無意識の偏見から生じることがあり、女性のキャリアアップを阻む「見えない壁」の一つとなります。キャリアを中断していない、あるいはフルタイムで働いている女性であっても、将来的なライフイベントを理由に昇進が見送られるケースも存在すると言われます。
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事例2:海外における賃金格差是正への取り組み アイスランドでは、男女同一賃金を証明する義務を企業に課す法律が施行されています。企業は、同じ仕事に対して性別に関係なく同じ賃金を支払っていることを証明する必要があり、証明できない場合は罰金が科せられます。このような法的な強制力を持つ取り組みは、男女間賃金格差の解消に大きな効果をもたらすと期待されています。
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事例3:男性の育児休業取得推進 育児を女性だけの責任としない社会の実現は、女性のキャリア継続を支援する上で極めて重要です。男性が積極的に育児休業を取得できる企業文化や制度を整備することは、夫婦間の育児負担のバランスを改善し、女性がキャリアを諦めずに済む環境を作ります。近年、日本でも男性育休取得を促進する法改正が進められていますが、実際の取得率や期間にはまだ課題があります。
キャリアにおけるジェンダー課題の影響と課題
キャリアにおけるジェンダーギャップは、個人だけでなく、企業や社会全体にも様々な影響を与えます。
- 個人のキャリア形成とwell-beingへの影響: 賃金格差や昇進の機会の制限は、個人の経済的な安定を損なうだけでなく、働くモチベーションの低下やキャリアに対する自己肯定感の低下につながる可能性があります。
- 企業への影響: 多様な人材の活用は、組織の生産性向上やイノベーション創出につながると広く認識されています。ジェンダーギャップを放置することは、優秀な女性人材の流出を招き、企業の競争力を低下させるリスクとなります。
- 社会全体への影響: 労働市場におけるジェンダーギャップは、少子高齢化が進む社会において、労働力不足を深刻化させる要因となります。また、経済的な不平等を拡大させ、社会全体の活力を削ぐ可能性があります。
課題としては、長年培われてきた社会や個人の意識、企業文化を変えることの難しさ、育児・介護インフラの整備不足、そして制度があっても実質的に利用しにくい雰囲気があることなどが挙げられます。
今後の展望と学びへの示唆
キャリアにおけるジェンダー課題の解消に向けては、制度改革、企業文化の変革、そして私たち一人ひとりの意識の変化が求められます。
- 制度・政策: 同一労働同一賃金の徹底、育児・介護休業制度の実質的な利用促進、保育・介護サービスの充実などが引き続き重要です。男性育休取得のさらなる促進や、法的な手段による賃金格差是正なども議論されるべき方向性です。
- 企業の取り組み: 公平な評価・昇進システムの構築、アンコンシャス・バイアス研修の導入、柔軟な働き方の支援(リモートワーク、時短勤務など)、男性の育児参画を応援する企業文化の醸成などが求められます。目標設定(クオータ制など)も、意識的な変革を促す手段の一つとして効果を上げています。
- 個人の意識: 私たち自身が持っている無意識の偏見に気づき、性別に関わらず多様な働き方や生き方を尊重する意識を持つことが重要です。また、男性も育児や家事といったケア労働を担うことの重要性を認識し、実践していくことも欠かせません。
キャリアにおけるジェンダー課題は、経済学、社会学、経営学、心理学など、様々な学問分野からアプローチされています。さらに学びを深めるためには、これらの分野の知見に触れてみることが示唆されます。賃金構造や労働市場のメカニズムについては経済学、性別役割や社会規範については社会学、組織内の人間関係や意思決定については経営学や心理学といった視点から、この問題を読み解くことができるでしょう。また、ご自身の周囲で起きていることやメディアの情報について、「これはジェンダーの視点から見るとどうだろう?」と考えてみることも、学びを深めるための良い問いかけとなるはずです。
働く場におけるジェンダー平等は、公正な社会を実現する上で不可欠な目標です。この課題について理解を深め、対話し、具体的な行動につなげていくことが、私たち一人ひとりに求められています。