家族法から労働法まで:日本の法制度におけるジェンダー課題とは
法制度は、私たちの社会のあり方や個人の権利義務を定める重要な基盤です。しかし、これらの法制度が、歴史的、文化的な背景からジェンダーに関する特定の考え方や役割分担を前提としていたり、あるいは結果的にジェンダーによる不平等を生み出したりすることがあります。ジェンダー課題を深く理解するためには、法制度がジェンダーとどのように関わっているのかを知ることが不可欠です。
この解説では、日本の法制度に焦むジェンダー課題に焦点を当てます。特に、私たちの生活に身近な家族に関する法律(家族法)や、働くことに関する法律(労働法)を中心に、具体的な事例を通して、法制度がジェンダー平等にどのように影響しているのか、そしてどのような課題があるのかを探ります。
なぜ法制度とジェンダーの関係を理解することが重要なのか?
法律は、社会のルールであり、人々の行動や関係性に大きな影響を与えます。ジェンダーの視点から法制度を読み解くことは、単に法律の条文を知るだけでなく、その法律がどのような社会を理想とし、どのような価値観に基づいているのかを理解することにつながります。
たとえば、ある法律が「男性は働き、女性は家庭を守る」といった従来のジェンダー規範を前提として作られている場合、その法律は結果的に女性の社会進出を妨げたり、男性の育児参加を難しくしたりする可能性があります。このように、法制度は既存のジェンダー規範を強化することもあれば、逆に規範を変え、より平等な社会を実現するための力となることもあります。
したがって、法制度に潜むジェンダー課題を理解することは、社会に存在する様々な不平等の構造を知り、より公正で多様性を尊重する社会を築くために、どのように法や制度を変えていくべきかを考える上で非常に重要です。
日本の具体的な法制度におけるジェンダー課題
ここでは、いくつかの具体的な法制度を例に挙げ、そこに存在するジェンダー課題を見ていきましょう。
家族法におけるジェンダー課題
家族に関する法制度は、ジェンダー規範の影響を強く受けてきました。特に、明治時代の家制度の考え方を引き継ぐ部分が、現代社会におけるジェンダー平等と摩擦を生むことがあります。
- 夫婦同氏制(民法第750条): 日本では、結婚する際に夫婦どちらか一方の氏(姓)を選択し、多くの場合、妻が夫の氏を名乗ることが一般的です。これは法的には夫婦どちらの氏を選んでも良いとされていますが、実際には9割以上の夫婦が夫の氏を選択しています。この制度は、明治民法以来の家制度における「家」の継承という考え方が根底にあり、個人が独立した氏を持つことよりも、「夫婦一体」や「家」としての姓を重視する考え方が反映されています。
- 課題: 選択的夫婦別姓制度の導入が長年議論されていますが、導入されていない現状は、個人のアイデンティティや、結婚による改姓手続きの負担(特にキャリアを持つ女性にとって)といった面で課題があります。また、「夫婦は同じ姓であるべき」という社会的な規範を強化し、多様な家族のあり方を認めにくい一因ともなっています。
- 性同一性障害者の性別の取扱いの特例法: この法律は、性同一性障害(現在の性別違和)を持つ人が、法律上の性別を変更するための要件を定めています。性別変更には、特定の診断を受けることや、生殖能力がないこと、変更後の性別の性器に近似する外観を備えていることなど、厳しい要件が課されています。
- 課題: これらの要件、特に手術を必須とする要件は、当事者の身体への不可侵権や自己決定権を侵害するのではないかという批判があります。国際的には、手術要件を撤廃したり、診断のみで性別変更を可能とする国が増えており、日本の制度は見直しを求める声が多く挙がっています。これは、医学的な状態を法律上の性別決定の根拠とすることや、「男性らしさ」「女性らしさ」といったジェンダー規範を身体的特徴に結びつける考え方が背景にあると指摘されています。
労働法・社会保障法におけるジェンダー課題
働くことや、社会保障に関する法律も、ジェンダー平等に深く関わっています。
- 男女雇用機会均等法: 1986年に施行されたこの法律は、募集・採用、配置・昇進、教育訓練、定年・解雇・労働契約の更新などにおいて、性別を理由とする差別を禁止しています。
- 課題: 法律によって形式的な機会均等は図られましたが、賃金格差や管理職比率の差など、実質的なジェンダー平等には至っていません。「間接差別」の禁止規定もありますが、例えば「特定の職務は重い荷物を運ぶ必要があるため男性のみ」といった、性別以外の要件に見えるものが、実際には性別で排除することにつながっているケースなど、法の解釈や運用、そして企業文化による課題が多く存在します。
- 育児・介護休業法: 子どもや家族のケアのために労働者が取得できる休業制度を定めた法律です。
- 課題: 制度としては男女問わず育児休業を取得できますが、実際には女性の取得率が8割を超える一方で、男性の取得率は近年増加傾向にあるものの、2割弱(2022年度 厚生労働省調査より示唆)にとどまっています。これは、男性が育児休業を取得しにくい企業文化や長時間労働慣行、経済的な要因などが背景にあり、法制度が利用される実態において大きなジェンダーギャップが存在することを示しています。法改正により男性育休(産後パパ育休)の取得促進が図られていますが、実効性が問われています。
- 社会保険制度(例:国民年金の第3号被保険者制度): 専業主婦(夫)などの被扶養者である配偶者が、自身で保険料を納めることなく国民年金に加入できる制度です。
- 課題: この制度は、主に男性が一家の稼ぎ手となり、女性が専業主婦であるという高度経済成長期の標準的な家族モデルを前提としています。共働き世帯が増加した現代においては、働き方の多様性に対応しきれていない側面があります。例えば、扶養の範囲内で働くことを選択する人がいる一方で、この制度があるために、自身のキャリア形成よりも配偶者の扶養に入ることを経済的に合理的な選択だと考えてしまう人もいるといった指摘があり、女性の就労抑制につながる可能性が議論されることがあります。
その他の分野における法制度とジェンダー
上記の他にも、刑法における性犯罪規定(過去の法改正で「強姦罪」が「強制性交等罪」に見直され、被害者の性別限定が撤廃されるなど、性暴力への認識の変化が反映されていますが、同意を巡る議論などさらなる課題があります)、地方自治体が定める性別平等に関する条例など、様々な法制度がジェンダー課題と深く関わっています。
法制度の背景と歴史的経緯
日本の現代の法制度、特に家族法や社会保障制度の多くは、戦後の民主化過程や高度経済成長期に形成されました。この時期には、「標準世帯」として、男性が外で働き、女性が家庭を支えるという家族モデルが強く意識されており、法制度もそのモデルを前提として設計されることが少なくありませんでした。
その後、男女雇用機会均等法の制定など、ジェンダー平等を目指す法改正も行われてきましたが、既存の法体系や社会規範との整合性、あるいは社会の変化への対応の遅れなどから、現在も多くの課題が残されています。法改正の議論は、常に社会の価値観やジェンダー観の変化と密接に結びついており、その歴史をたどることは、私たちがどのような社会を目指してきたのかを知る手がかりとなります。
社会への影響と残された課題
これらの法制度に潜むジェンダー課題は、単に制度上の問題にとどまりません。個人のキャリア形成、家族のあり方、経済的自立、さらには個人の尊厳や人権といった、私たちの生活や社会全体に大きな影響を与えています。
例えば、夫婦同氏制は、結婚によって女性が多く改姓することから、仕事上の不便さやアイデンティティの揺らぎにつながるという指摘があります。また、育児・介護休業制度が男性にとって利用しにくい現状は、家庭内でのケア責任が女性に偏る状況を固定化し、女性のキャリア継続を困難にする一因となります。性別変更における厳しい要件は、トランスジェンダーの人々の人権に関わる重大な問題です。
法制度は社会のルールであると同時に、社会の価値観を映し出す鏡でもあります。法制度が特定のジェンダー規範を前提としている場合、それは社会全体にその規範を広め、ジェンダーに基づく差別や不平等を再生産する可能性があります。
多様な視点からの議論
法制度のジェンダー課題については、様々な立場からの議論があります。
例えば、選択的夫婦別姓制度の導入については、「個人の自由や多様な生き方を尊重すべき」という賛成意見がある一方で、「家族の一体感を損なう」「子どもにとって姓が違うのは問題になる」といった懸念や反対意見も存在します。また、性別変更の要件についても、「当事者の権利を最大限尊重すべき」という立場と、「社会的な混乱を避けるために一定の基準が必要」という慎重な立場からの意見があります。
これらの議論は、単に制度論だけでなく、家族のあり方、個人の権利と社会の秩序、伝統と変化といった、より根源的な問いを含んでいます。多様な視点があることを理解し、それぞれの意見の背景にある考え方を知ることが、法制度とジェンダー課題を深く理解する上で重要です。
今後の展望と学びへの示唆
日本の法制度におけるジェンダー課題を解決し、より平等な社会を実現するためには、法改正はもちろんのこと、法の解釈や運用の見直し、そして社会全体の意識の変化が必要です。現在も、選択的夫婦別姓制度や性別変更の要件の見直しなど、様々な法改正に向けた議論が進められています。
法制度は静的なものではなく、社会の変化に合わせて常に問い直され、改善されていくべきものです。私たち一人ひとりが、既存の法制度にどのようなジェンダーの視点が反映されているのか、それが社会や個人にどのような影響を与えているのかを意識し、議論に参加することが、より良い社会を築くための第一歩となります。
法制度とジェンダーの関係については、法学、社会学、政治学、歴史学など、様々な学術分野で研究が進められています。法律の条文を読むだけでなく、なぜその法律ができたのか、それが社会にどのような影響を与えてきたのか、そして今後の社会でどうあるべきか、といった問いを立てながら学びを深めていくことで、ジェンダー課題に対する理解はより豊かなものとなるでしょう。法制度は、ジェンダー平等を考える上で、社会構造や権力関係といった問題を具体的に捉えるための重要な入り口なのです。